わからないという感覚が減ってきたことの怖さを感じる

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40代も中盤に差し掛かると、仕事のやり方じゃないけど、ある程度考えることが求められる仕事をしてきていると、だいたいのことはまぁなんとかなる。

常に、トップクラスで、毎回ギリギリまで考え抜くような、コンサルみたいな環境だとそうでもないのかもしれないけど、そうじゃないような人が大半なのだけども、そうするとだいたいのことはまぁなんとかなる。

なんとかなるのは仕事のことだけでなく、プライベートで解決しなければならない問題がでてきてもなんとかなる。

やりたいこと。
例えば、キャンプしたいなと思ったら、調べて試して楽しんで、次はどうしようかな。みたいなさ。

そういうものですよね。

仕事だって、プロジェクトを立ち上げて、細分化して、スケジュール組んで、割り振って、管理して調整して。みたいなね。

なのだけど、その感覚とは逆に、「勝手に物事の可能性を見極めて」いてしまっていて、「どうなるかわからない楽しみ」というか、醍醐味みたいなものを期待していない感じが逆に怖いなって思う。

仕事でロジカルシンキングを叩き込まれて、詰められまくっていた経験があるから、仕事だけならいいけど、プライベートの人間関係でもそれが出てしまうことがあって、すごく「嫌な奴」になってしまっていた時期があるんだけど、それはそれで後悔していて、なんだかそれに近い怖さみたいなものがある。

それって、悩んでんの?考えてんの?
答えを出したいのか、単に共感してほしいのかみたいな。

なので、最近は「不確実性を楽しむ」っていうのを口癖にして行動している。
下調べしてしっかりやったほうがいいこともあるけど、大事故レベルにならないことであれば、本当にいい意味での適当をエンジョイするのが人生な感じなんじゃないかなと感じている。

40代中盤。50代が少し意識して、どんなことをどんなふうに楽しむかを考えながら生きていきたい。
なんだこれ。

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