人間関係の度合いに的なことついてなんかふと

「20年前から知ってる」
とか人と人の間で言われている状況が目の前にあると、あ、僕以外の2人がそういう会話をしているとね、今を生きている状況って、何なんだかなぁとか思ってしまったりしなくもないことがある。いや、なんというか。

付き合いが長いっていうことは、長く付き合っていられる、いられた関係性、それだけ波長だったり、価値観だったりが合っているということが判明している状態が継続しているということになるよね。

一緒に働いたことがある、学校が一緒だった、友人を介した出会いで知り合った、まぁきっかけはなんでもいいんだけど、長く付き合ってる人間関係だったりコミュニティーってのはまぁあるよね。

人と人が繋がっていくっていうことは、不思議だよね。本当に。

昔、仲良くすることができて、深いところまでの関係構築の必要はなかったからお互い無害で楽しい記憶だけが残ってる。とか

好きではなかった、何なら気に入らなかったけど、時間の経過とともに精神的な成長があるため、当時そう思っていたことすらかわいく感じて、今では笑えるいい関係だったな。みたいな。

で、年齢を重ねると、どうなの。どうなんだろね。
なにがどうっていうのは、人間関係ね。

よく、近い人間は入れ替えて、どんどん上のステージの人たちと関われるようにしていく、なんていうのが、会社員が会社とまた主に会社外での動きで必要だとかっていうのがハック的にはあるんだけど、プライベート?個人的な関係性についてはどうなんだろね、そこまでなんともだけど、なかなかたまに会うのも含めて付き合ってる人ってそんな変わらないし、新しい出会い、うーんどうだろう、いろんなことしていれば、それがハブになって増えていくか。そらそうか。

なんでしょか。
付き合いの親密度と、付き合いの長さって必ずしも比例しない、でしょ?だよね。
あーでも、前から知ってて今も付き合いがあるからそれは親密ということなのかな。
そとから見てるとなんか引っかかるんだよな。長いだけじゃん。とかって。

でもタイムリーにこのポストが下書きだったときに20年来の友達、知り合いなのか?いや友人か、と約4年ぶりにあったんだけど、これは何なんだろうね。
いま、出会ったら友人になっていたのだろうか。あの日あの時あの場所で出会うことがなければ人間は繋がらないのだなと、うん、じっくりと感じた。

なので冒頭にあるようなつながりというのは、外から見るとつまらないけど別に、20年の時を経た関係性があるというだけで、ただそれだけなんだなと思う。いやつまらないということもないか。

昔のことは知らなくてもいいし、でも知りたいし、その出し加減、加減とか言ってる時点でなんか難しいけど、全部を全部知らしめる必要もないし。

それから先日、すごい出会いがあった。出会いといっても千差万別で、この場合、共通の趣味を持つ人間どうしが、偶然居酒屋で隣の席になり、その共通の趣味があることが同時に露見して意気投合、という感じ。

とても不思議だ。もしその共通言語がなければ会話をすることはなかったと思う。
それだけ、居酒屋では、他人は他人に対して、積極的に繋がりを求めていない。

カウンターだけの店だったら客と客がつながることは往々にしてあるというか、よくあるどころの話でもなく、むしろその繋がりらしきものを求められている場合だってある、が、居酒屋は予め話をする前提の団体で訪れ、その調和を乱す外部要因は邪魔なんだよな。それをとっぱらうっていうのはすごい出会いだと思う。繋がりが続くとよいだろう。隣の駅の別世界の人間をしるのは面白いからな。

なにか、書いていこうと思った。なんか語彙力減ってるというか、めんどくさくて。これも変化なのだろうか。

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