フロリダに行ってきた。ライブだ。
アメリカは2回目だ。
今回、フロリダの北部にある街で、都市型のフェスへの出演と、オーランドのライブハウスでのライブ、合計2本出演をしてきた。
2024年、「コロナ禍」とかって言われていた時期が終わり2年半くらいか?正直ドル円154円てなんなんだよだし、物価も日本とは比べ物にならないくらい上がっていてしんどいんのだけど、海外に行くタイミングなんて、外部の環境が変わるのを待っていたってしゃあなしだからねぇ、と言うしかない、まぁなんつーか行かない理由なんて探そうと思ったらいくらでも湧いてでてくるからなぁ。
人間はやらない理由を探す天才ですから。
というか、そもそもなんでアメリカというか海外にライブしに行くんだろうとか考えるとちょっとムズい、なんか楽しいからいくくらいなもんだね。言語化難しいんだよなぁ。
7月にやっているバンドでアルバムをリリースした。16曲入りだ。
リリースと行っても、配信だけとかではなく、CDもいわゆるプレスに出し、店舗への展開はいまやめちゃくちゃ金がかかる時代なので、懇意にしていただいているお店のみ、という感じ。良い感じ。まさにリリースをした。
ほんでその16曲、ゲストギタリストのパートを除き、もちろんすべてのギターを担当したが、僕がバンドに加入する前からある曲が10を超えていた。
これについては、当の本人である僕以外はなんということも思っていないのだろうけど、僕としては色々と思うことがあった。これまで何人かのギタリストが加入と脱退をしてきて、その瞬間瞬間に作られてきた曲を、総まとめして自分が改めてギターを弾いて形にする。ということになる。
区切りの一枚。そんなようなつもりでいたので、ある程度の覚悟というかなんというか、なんとも言えない感じだったんだよね。音楽を聴いて楽しんでくれているひとからすると、なんも気にしないのかもしれないけれども、作る側からするとちょっと違ったりするんだよね。なんとなく。
いままでギター弾いてきた人たちへのリスペクトもあるので、そんなにフレーズを変えたりってのも避けたいし、でも自分らしいものにもしたいしと。
ただ目線を上げて考えれば、コレまで自分だけではなかなか思いつかなかったフレーズやプレーを、一気に色々と吸収できた、そんな経験でもあった気がする。
そして、ギターだけではなく、ここまでのバンドの一段落でもあった。冒頭にも触れたが、いわゆるコロナ禍にバンドとして動きを続けることで出会ったバンドや人たちとのまとめでもあった。結果な。
この3年間、一連の流れがあったと感じている。重複するが、コロナ禍、続けるライブ、開けてるライブハウス、遊びに来る人たち、閉塞感から脱したいとか、店が潰れないように、みたいなものが、僅かにはあったはずなのだが、途中からはそれが流れになってきていた。シーン、ってやつができかけてきたようにも感じた。ユニティーしてきている、なろうと思って仲間になったわけじゃなくて、少しだけ青くて、高まる、俺達サイコー!じゃないけど、こういうのがたのしいよな、ってなってきていた。
そんなタイミングが相まって、アルバム作りとツアー、とりわけ初日はすごい日になった。まぁツアー中に色々なことが起きたのでファイナルではまた諸々変わっていて、まさにそもそもそこにあった過渡期にいろいろなものが注ぎ込まれて、一つまとめ、精算という感じになった。そういう感じに着地した。
少し戻るが、リリースの前にはサンプル盤、いわゆる「白盤」ってのを持って歩いて、多少は営業というか挨拶にいったりするものだったりするのだが、まぁレコーディング完了→リリースまでの間で、合った人や、リリース後にライブなどでお世話になる予定の方に、まぁあったらお渡しするくらいのもので、ガンガン配るみたいなことは特にしていなかったのだけども。
だが、その一環で、自分としては神様と位置づけているひとりである、横山健さんにも会うことができた。
40代なかば、ちゃんとしたバンド、初めてのアルバム制作、初めてのリリース、って音源を、神の楽屋で直接渡せる日が来るなんて、10代のころに想像していただけのことがまんま起きた。なんだかんだギター弾き続けるもんだ。ほんとによぉおおお。
こういった機会に恵まれたのは、まさに人に恵まれている。繋いでくれるひとに出会って、関係ができた。いやぁ真面目にというか、誠実に生きるもんだなぁって思ったよ。
ちなみに、僕はkenさんすごく好きなんだけど、ライブに行かないだけでなく音源も極力聴かないようにしていた。喰らっちゃうし、なによりも「もらっちゃう」んだよね。
リアルタイムでハイスタを聴いていたのでもう、組み込まれてしまっているわけで、20代の頃はだいぶジレンマだった。そもそも僕は曲なんて作れない、に加えて、組み込み済みの諸々がただただどんどん出てくる。
若いと無理だったんだろうな。色々と。
40歳を過ぎて、いまのバンドでギターを弾くことになってからも、こちらから進んで音源を聴いたりライブに行こうとは、あえてしなかったのだが、そのうちそんなことを意識する暇もなくなっていた。
大人のみんなはわかると思うが「憧れ」みたいなものって、すごく厄介なんだ。
若い頃にハイスタに出会っていなければ、ギターをこの年までこんな感じで弾いてるってことは絶対にないと思うんだけど、出会ってしまったがゆえにその影響力が大きすぎてめちゃくちゃに困る、という感じ。
そう、だから知人からライブに遊びに行かせてもらう話をもらったときも正直迷った。迷ったのだが、「いまの君ならちゃんと消化できるんじゃないか?」的なことを言ってもらって、行く決心がついた。
実際どうだったか、は色々といい意味で喰らったので、それはまたどこかで書きたい。ただ、年を取ってからライブが診れて良かったなぁってことかな。ああ、思い出したけど何年か前に屋内のフェスで観たことあったなそういや。
おっと、逸れたなー。まぁいいか。でも戻そう。
だからリリースをするタイミングで、レーベルに、「日本のツアー終了後くらいのタイミングで海外でライブするチャンスがあったら模索してほしい」とお願いをしていた。
すべてを把握していないが、おそらくなかなかな営業努力があって、フロリダでのフェス出演が決まった。9ヶ月くらい前には決まっていたと思う。感謝だ。本当に。
フェスは会場がめちゃくちゃあって、屋内のまぁまぁ中くらい位のとこでやれた。たのしかった。
と、まぁ感想自体はこんなもんかな。いい経験になった。
ステージでどうすべきかとか、海外はやっぱ主張しないとどうこうとか、そんなテイストのことを書くアレではないもんなぁ。
シンプルに違う国に行くのはいいよね。それだけでも高揚感がある。何かを成し遂げた気にさせてくれる。そんな程よい勘違いと、同様に周りがそのように思ってくれる。っていうのが海外でライブをしてきたザ・感想だ笑
無限の可能性がある、ような感じはさせてくれるよね。
でも、これ、歳のせいなのかなぁ?アメリカなんて普通だよ。なんつーか、、なんとも思わない部分のほうが大きい。2回目だからなのか?
言葉、文化、デカさ、ご飯、物価、など日本にはないハードルが色々とあるから、それをこなす高揚感(2回目)があるだけなんだよな本当に。
でもまぁそのハードルを見つけて、わざわざ走りに行くってことなのかもしれない。
いやどうだ、、ちがうか?日本国内にツアーでライブをしにいくように、海外にも名前を刻みに行くのか?名前を刻むのか。刻んでどうすんだっけ?名前の刻み大会なんだっけ?世の中って。
そうか、意味があるから行くんじゃないんだ。どこでも行って、ライブをすること自体が目的なんだった。そうだな。アメリカでライブするってなんかかっこいいしね。そういえば。
音楽を作る、演奏をする、人に聞いてもらう、一緒に楽しむ、リアクションをもらえる。そういう気持ちよさが確かにある。それを俯瞰して、選んでやってることなんだ。楽しいでこ。
完全に新しい曲を3曲、レコーディングした。2023-2024年に必死こいて録って世に出したアルバムは、日本とアメリカのツアーとともに大きな区切りになった。
得たものも、失ったものもある。新しくやるかぁ。