2020年、コロナ禍引きこもりタイムを仮想老後として捉えてみたらどうだったか
長い。
コロナ、長いよほんとに。
何が長いか。
流行はもちろんなんだけど、まぁそもそも流行は落ち着いてきているし、このまま収束間違いなしかと思う。
既に緊急事態宣言が収束の役に立っていなかったということが数字的なアプローチからもほぼ明らかになっているし。
もう、日本はこのまま行けばOK。
もちろん三密は避けるというか、慣習としてはある程度継続すれば問題ない。
問題なのは院内感染だったり、キャバクラあたりで、事実この辺でしかほぼほぼクラスターは発生していないわけだし。
緊急時他宣言も解除されて入るものの、毎日感染がわかった人は出続けているし、一部の地域では「第二波」だともいわれているような状況で、予断は許さないけど、まぁ結局日本ではというか日本人にとっては大したこと無いような感じになっていて、もう、「なんとも言えない」ような状況が続いている。
だからもう長いとかじゃないんだなこれ。
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で、この緊急事態宣言の期間、多くのひとがテレワーク・リモートワークに以降したり、稼働ができないようなお仕事のひとはほぼ無職状態だったり、もちろんいつにもまして忙しく仕事していた人もいるわけなんだけど、とりわけ自分もそうだけど多かったのが
「自宅で仕事をしているがやや暇なひと・まったく稼働できない人たち」
だったように思う。
「STAY HOME」を地で行く必要があった人々、最初は不慣れなリモートワークをしつつな人、もしくは仕事が全くできない人、数日は具体的な根拠がわからない恐怖がつきまといつつ、多少のエンジョイはあったと思う。
サブスクの動画鑑賞に始まり、料理、掃除・断捨離、You Tuberもどきになろうとしたり。
大体の人が、そんなもんだったのかなと思うし、僕もそんな感じだったんだけど、日にちが重なるうちにちょっと「怖く」なってきたってのが正直なところでこのエントリのタイトルみたいなことなんです。
「時間だけがある」という状況を恐怖として感じてしまったわけ。
「仮想老後」だな。と。
金も、自宅も、時間もある、余裕ある生活として形容されることもあるような言葉が「老後」なんだと思っているんだけど、実際そんな老後を迎えるというかやってくる人はあんましいないと思ってるんだけど、仮にそれが実現したとき、このままでは自分は怖いなと思った。
まだね、まだオレなんかはギター弾くという趣味があるから良いってわけでもないんだけど、あっても微妙。
年齢を衰えることによって、湧いて出てくるような好奇心なんてどこまで減退しているかとか考えると怖い。怖くなった。
怖さがなんなのかわからないけど、40才過ぎてこのコロナ禍が訪れてそんな風におもた。おもた。
本来、壮年期にやるようなローストビーフつくりもチャーシュー作りも角煮作りも蕎麦打ちも平日昼から堂々と酒飲むやつもオンライン飲み会もいきなりやるハメになった。
どうしてくれる。
つっても、いまからとっておく必要もない。
未来のためにとかじゃなく好きなことを追求するのが必要、とかいう、そういう話にやっぱりなるよね。