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ブロガーが殺傷事件の被害者になるなんてなんてこった

   

凄惨な事件が福岡で起きた。

毎日仕事の合間にはてなブックマークをチェックしている身としては、たびたびエントリーに上がってきていた件のブログを拝見していた。

今回の件についてエントリを書いているブログもよく読んでいるし、そんな繋がりがあったのもなんだか意外だったが、びっくりとしか言いようがない。

 

複数のSNS、ブログ、匿名掲示板、このあたりを図解するようなエントリーはあるけど、垣根、もともと垣根なんてなかったのかもしれないが、いろんな人間がごっちゃ混ざってきているというか、まぁそうだな。

 

建設的で論理的な意見を展開し、時に不合理な人種を糾弾するスタンスをとるブログが、やっぱり読んでいて面白いなと感じるんだけど、要は正論。

ただし正論を振りかざすと言うか、一辺倒とまでは言わないが、そういった切り口ばかりだと、面白いと感じる人間がいるそのぶん屈折した考えを持つ人間もいるということなのだろうか。

たまたま鼻についたという程度であれば、もう見なければいいのだろうが、心理はそんなにイージーではないんだろう。

幼少期や学生時代、社会に出てから、まぁあらゆる環境が人間のベースになるとは思うが、うまくその環境がハマって来なければ、屈折なんていう言い方では表現できない感情をを持つ人間もまた出てくるってことなんだろうなと。

 

俯瞰して状況を見る。

自分のことを自分ごととしてキチンと主体性をもって行動してみる。

過去は過去。

諦めも大事。

 

ポジティブバカ一辺倒では決してないこれらの言葉を、少しでも汲み取って行動できればなにかが変わっていたのだろうが、それすらできない、できなかったとなると、きっとできたであろうタイミングを逃したり多少のサボりの積み重ねだったのかもしれない。

 

排除、対話、改善、他にも良い言い方はあるだろうけど、「建設的」というのは、なにも論理論理の理詰めだけでは成り立たないのだなと、痛感する出来事なのかなと思う。

 

 

 

 

 - thought/思ったこと